アメリカ人の友人がおもしろいことを言っていた。曰く、彼は大学院でアジア文学を研究していて、博士号をとるつもりで日夜励んでいたのだが、あるとき、吉田兼好の徒然草だかなんだかについての論文を夜中に書いているときに、突然 who cares! (誰がこんなものを気にするっていうんだ)という心の叫びが聞こえてきて、進路をぱたっと変えたのだという。当時の心の叫びは今でもよく覚えているとのこと。
私もこういう心の叫びは何度か聞いたことがあると思うのだけど、どうもよく覚えてない。論文のために、こんなの評価するまでもなく結果は明白なのに、と思いつつ評価用のデータを集めたり、あまり関係ないと思いつつも参考文献を増やすためにそれらしい論文を加えたり、みたいな作業をしていると who cares! という念がふつふつと沸いてきたような気がするけど、昔の話なのであまりよく覚えていない。喉元過ぎれば、である。
ソフトウェア開発でも、テストのないコードにテストを書こうとしたらとんでもない量の yak shaving になってしまって途中で挫折するとか、無駄に複雑なコードをしぶしぶいじくっているうちに余計に複雑になってしまって放り投げる、なんてことをやっていると who cares! という念が沸いてくる。が、それでも相変わらずソフトウェアをいじくっているのだから、心の叫びというほどのものではないのだろう。徒然草級の who cares! が突然やってこないことを祈りたい。