TeXの生産性に関する記事 [1] を読んで、そういえばTeXなんていうものを昔は使っていたと思いだした。TeXというのはなかなか思い出深いツールなので、ちょっと何か書いてみたくなった。
私がTeXについて知ったのはLinuxを使い始めて間もない頃だ [2]。コンピューターサイエンスの世界で有名なクヌース教授が自分の本 The Art of Computer Programming の組版のために作ったツールといった話をどこかで聞きかじって、なんだかものすごいツールに違いないと思ったものだ(昔から権威に弱い)。
実際に TeX (実際には pLaTeX だけど一般化してTeXと呼ぶことにする)を使い始めたのは大学院に入ってからだ。大学院のワークステーションはTeXの環境が整っていたので、特に苦労せずに使い始めることができた。
授業のレポートなんかを TeX で書いて、富士ゼロックスのポストスクリプトプリンタから出力すると、美しい印刷物が出来上がって惚れ惚れとした。大した内容じゃなくても、TeXで組版され、和文にリュウミン書体が使われたレポートは格調の高さを漂わせていた。
と、ここまではよかったのだが、大学院のワークステーションはとにかく遅かったので(SGI の O2 という物体だった)、PCを買って Linux を使おうということになり、TeXの環境を自分で作らないといけなくなった。
これは茨の道だった。確かLinuxはRed Hat 6.x かなんかだったと思うのだが、パッケージでTeXを入れれば、すぐ使える、なんてことはなく、たしか pLaTeX をソースから入れ直すところから始まった。
試行錯誤の末、どうにか日本語のTeXファイルがコンパイルできるようになったと思いきや、今度は生成された DVIファイルの日本語が表示できない。DVIビューアで日本語を表示するには、これまたソースからビルドして日本語のTrueType フォントを表示するパッチを入れたりとかなんとか、そんな作業が必要だったと思う。
ポストスクリプトを表示する方でも同様の問題ではまって日本語パッチをあてたGhostscript のビルドなんかをやったような気がする。
この他にも、スタイルファイルを足してもなぜか使えなくてさんざん調べた結果、mktexlsrなるコマンドの実行を忘れていただけ、などといった無数の落とし穴に何度もはまった。日本語でTeXがまともに使えるようになるまで一体どのくらい時間を使ったのだろうか。
授業の簡単なレポートという段階を超えて、論文を書くという段になると、問題は増大した。まず、図を挿入するのが難しい。TeXが扱えるEPSフォーマットを生成できる作図ツールというと、TGIFという恐ろしくとっつきにくい(そして、UIがこれまた恐ろしく古臭い)ツールくらいしかなく、これの習得に難儀した。グラフの挿入も難しかった。gnuplotなるツールを主に使ったのだが、これで表現できないグラフに関しては、ポストスクリプトのプログラムを手で書いた。
学会に投稿するとなると、学会指定のスタイルを使わないといけないのだが、だいたいこういったものが一発でまともに使えることは稀で、まずはコンパイルエラーを除去したり、自分の環境に合わせて微調整する必要があった。
提出フォーマットがPDFだったりすると、どうにかしてTeXからPDFを生成しなければならない。Adobe Acrobat という製品を使って、Windows上でポストスクリプトファイルをPDFに変換するのが当時の正攻法だったと思うが、Linuxだけで完結させるには、新たなバトルが必要だった。たしか最終的には dvipdfmx なるツールに行き着くのだが、その過程では、ハズレのソリューションもいくつか当たってしまい、時間を大いに無駄にした気がする。
以上のように、私にとって TeX というと、環境設定に膨大な時間を食ったという悪い記憶がまず第一にある。時間に無頓着だった昔はこんなことが平気でできたが、今考えるとぞっとする。上で述べたのは10年以上も前の話なので、現在は状況が改善されていると願いたい。
それでは、ツールが一通り揃ってからは問題がなくなったかというとそんなことはなかった。TeXで文章を書くという行為は一貫して非生産的であった。
何しろ、ものを書くという頭を使う活動の最中に、複雑な文法でテキストをマークアップするというプログラミング的な要素が加わり、そっちの方に結構な割合のブレインパワーを持っていかれてしまうのだ。その上、結果を確かめようとコンパイルすると、わけのわからないコンパイルエラーを直すためのコンテキストスイッチが発生して、何を考えていたか忘れてしまう。
さらに悪いことに、TeXで文章を書いていると、図を横に並べるにはどうしたらいいのか、といったTeX固有の技巧を調べる作業と試行錯誤が頻繁に発生する上、マクロを使って見た目をかっこよくしたい、みたいな誘惑にもかられ(キートップ風に角丸の四角で文字を囲みたい、とか)、肝心の執筆作業がちっとも進まない。ただでさえ論文の執筆は気が進まないというのに、目の前に現実逃避の種がゴロゴロ転がっているのだ [3]。
というわけで、私はTeXに対していい思い出はない。TeXに投入した時間をもっと研究の方に使っていればもっと成果がでたんじゃないかという気もするが、そもそも成果が少ないからTeXいじりなんぞにうつつを抜かしていた、という方が実態に近かったのだろう。
[1] http://id.fnshr.info/2014/12/21/word-or-latex/
[2] 29.html
[3] 30.html