2007年3月27日
年を取ると環境設定がどうでもよくなる現象
環境設定に関するエッセイを書きました。 もともとは、とあるメディア向けに書いたものですが、 諸事情により、ブログにて公開することにしました。
環境設定と老化
ソフトウェア開発を行う上で、プログラマはさまざまなツールを使います。そして、ツールをカスタマイズしたり、ときおり新たなツールを導入するなどして、開発環境を整えます。具体的には、テキストエディタの設定を変更したり、ブラウザに拡張機能をインストールしたり、といったことを行います。
私の場合、以前はこうした環境設定に情熱を燃やしていましたが、年をとるにつれて、その情熱は徐々に衰えてきました。周りのプログラマを見渡しても、多かれ少なかれ、同じ傾向が見られます。
というわけで、今回は「年を取ると環境設定がどうでもよくなる現象」がなぜ起きるかについて考察してみたいと思います。それではさっそく、思い当たる要因をみていきましょう。
投資効果に対する疑念
環境設定の中には生産性を大きく向上させるものもありますが、こまごまとした環境設定の多くは、そうでもありません。たとえば、私は、以前、Linuxデスクトップ用のあるウィンドウマネージャの設定に凝ったことがありますが、ほどなく別のものに乗り換える必要が生じたため、設定にかけた労力は無駄になりました。そのような失敗体験を重ねるにつれて、投資効果の低そうな環境設定には疑い深くなっていきます。
環境設定をやり直すのが面倒
新しいマシンを導入したときや、OSを再インストールしたときなどに環境設定をやり直すのは面倒な作業です。設定ファイルをコピーするだけでも面倒ですが、ダイアログで込み入った設定をやり直したり、必要なソフトウェアをダウンロードし直したりするのはなおさら面倒です。こういったことを繰り返すうちに、重要でない環境設定は行わないようになっていきます。
アップグレード時のトラブルを避ける
凝った環境設定を行っていると、OSやソフトウェアのアップグレードの際にはまることがあります。設定方法が変わっていたり、頼っていた拡張機能がサポートされなくなったり、といった問題です。こうしたトラブルに遭遇するにつれて、できるだけ無難な設定でいこうという方向性に傾いていきます。
過剰適応を避ける
使い慣れたツールを捨てて、新たなツールに移行するのはただでさえ大変なことですが、ツールのカスタマイズに手間をかけていると、さらに移行がつらくなります。この結果、時代遅れの古いツールを使い続けることになり (たとえば、添付ファイルが扱えないメーラーとか)、後から考えてみれば、なんでもっと早く移行しなかったんだ、と馬鹿馬鹿しくなることがあります。このような過剰適応による弊害を避けるためには、無闇にカスタマイズをしないのはひとつの手で す。
他の環境で作業するときに苦痛
グループで仕事をしていると、ときどき他の人のコンピュータを操作する必要が生じます。このようなとき、自分の妙に凝った環境に慣れきっていると、他の環境での作業が苦痛に感じます。また、それとは逆に、自分のPCを他人が操作しようとしたときに、相手に苦痛を与えるときがあります。こういったことが何度かあると、あまり凝った環境もいかがなものかと考え直すようになります。
他にやることがある
環境設定より目下の仕事の方が重要なのはいうまでもありません。適切な環境設定を行っていないために生産性が上がらない、というのは困りものですが、環境設定などの回り道にあけくれているために生産性が上がらない、というのも困ります。
また、環境設定よりも、プログラミングの基礎的な事柄の勉強や、役立つ技術の習得の方が長期的には投資効果の高い時間の使い方です。こういったことは自明のはずですが、環境設定に熱中しているときはつい忘れてしまいがちです。
飽きた
環境設定には多分に趣味的な要素があります。自分の環境をちょこちょこといじっていくのは、庭いじりのような趣きがあり、いかにも楽しいものです。しかし、他の趣味と同様に、あまりやりすぎると飽きてしまう可能性があります。環境設定には生産性の向上という実利性が伴うため、純粋な趣味とは異なりますが、趣味的な側面については飽きが生じます。
新しいことを覚えるのが億劫
実は、これはまっさきに思いついた要因ですが、認めたくないという心理から、最後の登場となりました。
新しいツールや環境設定のテクニックなどを耳にしたときに、「長年の経験によって吟味」して、これは重要でない、と判断して通りすぎるのと、単に、新しいことを覚えるのが億劫だから通りすぎるのでは大きな違いです。自分の中では前者であると思いたいところですが、後者である場合が多いのも事実です。環境設定に限らず、これが原因で時代に取り残されてしまうのはぜひとも避けたいところです。
まとめ
「年を取ると環境設定がどうでもよくなる現象」がなぜ起きるかについて考察してみました。経験の積み重ねに基づく取捨選択というポジティブな面もあれば、覚えるのが億劫になるというネガティブな面もあり、両者を見極めるのはなかなか難しそうです。