デフォルト教への道のり #31

公開日: 2012-03-05


「年を取ると環境設定がどうでもよくなる現象」[1] という話を5年前に書いた。この現象は相変わらず進行していて、環境設定はどうでもいいどころか、むしろ悪いことのように思えてきた。余計なカスタマイズをしてはまっている人をみると、むずむずしてしまうのだ。

先日、こんなことがあった。同僚の若者が、設定ファイルを16進数でダンプして何やらにらめつけていた。何をしていのかと聞くと、「このローマ字変換テーブルがなぜか読み込まれないんですよ」とのこと。日本語入力のローマ字変換テーブルなんてカスタマイズしなくてもいいのに、などと、つい余計なことをつい口走ると「このテーブルを入れると dvorak で日本語入力をするときにカキクケコを入れやすくなるんですよ。kは左側にありますからね」とのこと。

dvorakだけでも激しいカスタマイズなのに更に、ローマ字変換テーブルまでいじるのか。。そもそも、ローマ字変換テーブルのカスタマイズなんてしようとするから設定ファイルを16進ダンプするなんてことに時間を無駄にしているんじゃないの?などと、さらに余計なことを口走ってしまったが(まったく老害ですね)、「あー、TABを区切りに使わないといけないみたいですね。こういうのは一度やっとけばいいだけの話ですよ。OS入れ直しても設定はインポートできますからね」といって相手にされなかった。うう。

じゃあ、スマートフォンで入力するときはどうしてるの?と聞くと、フリックですよ、とのこと。えー、あれ、私は覚えるのがいやで QWERTYを使っているんだけど、QWERTYより速いの?と聞くと、速いですね、とのこと。しかも、よく考えてみると、スマートフォンではフリック入力の方がデフォルトで、QWERTYは設定を変更しないと使えないのだった。私としたことがカスタマイズをしていたなんて!

というわけで、フリック入力に戻して練習してみようかなと思った。ついでに、.emacs, .zshrc ともに100行以上もあるのを使っているくせに、カスタマイズはいかん、などと言っているのは矛盾している。デフォルト教への道のりは遠い。

[1] http://0xcc.net/blog/archives/000170.html

Satoru Takabayashi